無職の旅-新宮市編-

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はい、こんにちは、猫温泉です。

私が無職時代、暇にあかせてフラフラしていた記録、3日目後半でございます。

前回は前から行きたかった熊野本宮大社に土砂降りに降られながら参詣しました。
今回は熊野から出て名古屋へ行こうと、さらに東にバスで向かった先、新宮市で思いもかけず出会ったスポットの紹介をします。(心霊スポットではないです)

◆熊野速玉大社へ◆

熊野本宮大社を参詣した後、さらに東へ移動して新宮市へ。
ここから名古屋へ向けて移動予定だったのだが、とった特急の切符の時刻が夕方だったためかなり時間が空いてしまう。

駅で延々とパンダシートの撮影をしても仕方ないのでここらで行くところがないか調べていたところ、なんとこの新宮市には熊野三山の一つ、熊野速玉大社があるとのこと!

今回の旅では熊野三山の熊野本宮大社しか行く予定がなかったため他の三山の位置は調べてなかったのですが、この思わぬ偶然に熊野速玉大社にも参詣することに
※なお、熊野那智大社はさすがに時間の都合上無理だったので三山制覇はあきらめました

◆熊野速玉大社◆

熊野速玉大社は熊野本宮大社、熊野那智大社とともに熊野三山をなし、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産・大峯奥駈道の一部です。

熊野速玉大神と熊野夫須美大神を主祭神とし、この二柱の神は伊邪那美命と伊邪那美命の異名ともされます。

もともとはこの神々は近隣の神倉山に祀られていたのですが、いつ頃からか当地にて祀られるようになり、神倉山は元宮、現在の社殿を新宮と呼びならわすようになり、新宮市の名前の由来となっています。

◆熊野速玉大社ギャラリー◆

ど平日昼間の雨上がりの気の抜けた商店街を抜ける。

門前町っぽい雰囲気が出てくる。

あ、ありました熊野速玉大社!熊野本宮大社とは違い全体的に朱色の鮮やかな色合いが特徴ですね。

熊野本宮大社と異なり、平坦な境内の果てに拝殿が見えます。

熊野速玉大社を中心に新宮市を曼荼羅に見立てた図らしいです。

神門も鮮やかな朱色で彩られてます。さすがに三山の一つらしく、雨上がりにもかかわらず境内内はとても綺麗に清められている印象でした。

拝殿。広々としており、社殿の朱色も鮮やかな立派なものですね。

手水舎も朱色で彩られています。

ここにも弁慶ゆかりの塚の説明があります。

◆新宮市を行く◆

熊野速玉大社に詣でた後は、新宮市の目につくところを適当に観光しました。

かつて熊野川が交通の要所であった頃、「川原町」と呼ばれる地には二百数軒の家が建ち並んでいたが、熊野地方は雨が多く年に数度大水が起きていたため組立解体が簡単な釘を一切使わない「川原家」が建てられたという。その「川原家」が再建されて観光地になっていました。あいにくの平日と雨であまり人はいませんでしたが。

じゃばらサイダー。じゃばらの風味が強すぎて正直キツかった……。

熊野速玉大社から離れしばらく適当に歩いていると、立派な石垣があり、どうやらそこは新宮城跡と呼ばれる城跡だとわかりました。写真はその石段です。

新宮城、別名丹鶴城。城跡は「新宮城跡附水野家墓所」として国の史跡に指定されています。

新宮城後から熊野川を臨む。写真は逆方向の上流側を写していますが、新宮城の位置から熊野川河口を見ることもできたかと思います。

新宮城の異名の由来となった丹鶴姫の石碑。丹鶴姫は源頼朝、源義経の叔母にあたり、「熊野の女房」「立田の女房」などと呼ばれた女傑だったとか。その生涯は源平合戦やその後の頼朝・義経の争いに翻弄された波乱万丈なものなので、興味ある方は調べてみていただきたい。

新宮城から新宮市街を臨む。

熊野阿須賀神社。阿須賀神社の建つ地は、秦の始皇帝の頃、不老不死の仙薬を求め童男童女三千とともに東海に漕ぎ出したとされる道士・徐福が渡来した地であると言う伝説がある。江戸時代には熊野速玉大社の摂社となり、明治期には村社となった。

◆徐福公園◆

新宮市にあるパワースポットが熊野速玉大社や新宮城、熊野阿須賀神社ならば、新宮市にある珍スポットはここ、徐福公園でしょう。

もともとこの地には熊野阿須賀神社の説明でも触れた秦の道士・徐福のものとする墓がありましたが、1994年になりその墓を中心として中華風の楼門を配した公園に整備された場所となります。

徐福の墓自体は実に江戸期のはじめ頃には話があり、初代紀州藩主徳川頼宣が建立を企図し、儒学者の家臣李梅渓に墓に刻む墓碑銘の揮毫を書かせたと伝えられています。

豪華な中華風楼門。バブル景気の残り香か、かなりの資金が投じられていることがわかります。

楼門と、それを見つめる徐福像。徐福もこんな東の果てで祀られてるとは思うまい。

徐福像。秦の道士が本当にこんな格好していたかは疑わしいことこの上ないですが、割とコモンセンスな道士って感じですね。

不老の池と呼ばれる伝説の説明板。

和仁慈勇財調壮などいう、徐福の7人の重臣を示した言葉の彫られた石柱の建つ池。説明によると北斗七星の形に配置されてるらしく、写真で見ても「あ、ホント」となりますね。あと、これが不老の池か?

徐福の墓。

徐福の碑とその意訳。

ちなみに徐福公園では自転車やチャイナドレスのレンタルを行う売店もあり、不老長寿の霊薬「天台烏薬を使った徐福茶やナチュラルソープも販売されているとか。

本当に不老長生になるかはさておき、話のタネに買ってもいいかもですね。私はやめときましたが。

◆新宮市を行く2◆

徐福公園でなんか微妙な気分になっていましたが、さらに調べると付近に国定天然記念物の浮島の森があるというので見に行く。

なんでも、かなり大規模な浮島があり、森のようになっているそうな。

しかしついた時刻は17時過ぎ……御多分に洩れずこういう施設は17時で終わるのでタイムオーバーで見れず。

外から何枚かそれっぽい写真を撮るのみに……。

行き当たりばったりでやってるとこういう時に困りますね。

そんなこんなで、新宮名物と言われる、さんま姿寿司を食べながら和歌山を去り、愛知へと向かいます。


そんなわけで無職の旅和歌山編は終わり、次は愛知は名古屋編へ。

名古屋では特に観光をせずなんか食いまくってた記憶しかないので、久々に飯テロブログになるか!?

ではでは、今回のブログはこのへんで!

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