はい、こんにちは、猫温泉です。
このシリーズは、私が過去に訪れた心霊スポットを写真付きで紹介するものです。
そのため、現在の最新の状況とは異なる場合があります。なお、二度三度と訪れてる場合は、その度にアップデート記事が追加されますが、心霊スポットに行きだしたのは割と最近なのでアップデート頻度は多分低いです(´・ω・`)。
さて、その心霊スポット紀行、第7回目はこちら!
◆江古田の森公園(2018年)◆
江古田の森公園は感じる人にとっては都内有数のとてつもなく恐い場所であるといわれている心霊スポットです。
もともとこの江古田の地には国立療養所中野病院と呼ばれる結核患者の養生所がありましたが、やがて普通の病院も建てられ、隔離施設は閉鎖となりました。
その後、1993年には新宿区の国立国際医療センターへ統合されてしまいます。
中野病院自体はしばらくの間廃墟として存在していたが取り壊され、2007年以降は現在の江古田の森公園の形に落ち着いています。
その地がなぜ心霊スポットと呼ばれるようになったのか?
それは結核患者の無念の思いか、中野病院時代の暗いストーリーか……
◆江古田の森公園の怖い噂◆
江古田の森公園には以下の噂があります。
・木陰に女の地縛霊が立っており、何かを指し示していた(この幽霊は巨人の星の星飛雄馬の姉っぽいポーズから、アキコさんと呼ばれていたとか)
・女性の霊が指し示す先には、複数の霊が合体し、霊団化した巨大な食欲の塊のような悪意に満ちた存在がいた
・主婦が犬の散歩をしているの知らぬ間に犬の頭に歯型がついていた
・西側の森の中で心霊現象が多い
これらの噂には背景となる都市伝説的な話がある。
◆江古田の森公園の都市伝説◆
曰く、現在の公園のちょうど西側にあたる位置に建てられていた中野病院では検体の扱いが悪かったという。
特に新館と呼ばれる新しい病棟ができ、かつての病棟が閉鎖されて以降は、亡くなった人の臓器を検体として使い、使われた臓器はバケツに入れて積み上げられたり、無造作に敷地内に埋められていたというのだ。
そうした不遇な扱いを受けた検体の怨念か、結核病棟というかつて不治の病として扱われ、半ば棄てるように入院させられ、そのまま治らずに落命した患者の無念の想いからか、この地は霊的な磁場が非常に強く、霊感がある人は入ることすら躊躇するという。
また、公園の周囲東西と北を川がぐるりと囲み、まるで結界を構成しているかのようになっている。
さらに、この江古田の地はもともと古戦場であり、文明9年(1477年)に太田道灌と豊島泰経らが合戦をした場所であり、落ち武者の霊が出るともいわれており、因縁の地に因縁がさらに重なり、何重もの因縁によって出来上がった心霊スポットといえるだろう。
なお、病院が廃業した原因は前述のように1993年に新宿区の国立国際医療センターへ統合することになったためであるが、都市伝説的には検体の不法な扱いが発覚して警察沙汰になり廃業した、といわれています。
◆江古田の森公園ギャラリー◆

新江古田駅から江古田の森公園へ向かいます。

江古田の森公園に到着。一見すると普通の広い公園に見えます。

こんな感じで東西と北を江古田川が囲んでいます。見ての通り木が多く、鬱蒼としているようです。

公園内の街灯がえらい光ってますが、これはレンズのせいです。

夜の公園。とはいえ、時間があまり遅くないせいかジョギングやら散歩している人も多くいました。

緑色の光が雰囲気を醸し出しています。やはり木が多く、暗闇が多い印象です。

暗い森の中。真夜中に来たならもっと怖い雰囲気だったんだろうと伺い知れます。

森の中の道を行きます。

ライトをつけても明かりが届かない闇。

何かがいそうな雰囲気です。こういう木の陰にアキコさん(仮)がいたのか?

心なしか色彩が薄く感じ取れるのは気のせいか……。

石でできたベンチ。果たして食欲の塊の、とやらがいたのはどこだったのか……。
◆江古田の森公園動画◆
第7回の心霊スポット紀行、江古田の森公園をお届けしました。
因縁の地に因縁が上書きされ、恐ろしい伝説を背負った都市公園、江古田の森公園。
記事や写真、動画ではここの魅力?の一端すらお見せできなかったのではないかと思います。
様々な怪談師の方がここの公園について語っています。
是非、一度その方々のお話を探して聞いてみてください。
それではまた次回の更新まで(・ω・)/
◆YouTubeチャンネル
youtube.com/…nel/UCfiXOjxQqDEK3O5p-1qqXqQ
◆Twitter
https://twitter.com/nekospA555
◆ツイキャス
https://twitcasting.tv/nekospa555/
コメント