心霊スポット紀行-切支丹坂-

心霊スポット

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はい、こんにちは、猫温泉です。

さて、このシリーズは、私が過去に訪れた心霊スポットを写真付きで紹介するものです。

今回紹介する場所は江戸期にまで遡る過去の出来事が現在でも語られているという由緒ある心霊スポットとなります。

心霊スポット紀行、第29回目はこちら!


◆切支丹坂◆

別名、幽霊坂とも呼ばれる切支丹坂は、東京都文京区にあります。

この坂は江戸幕府が禁止したキリスト教を信奉するキリシタンを拷問するキリシタン屋敷へと繋がる坂道であったといわれており、そこで行われた拷問により落命したキリシタンたちの断末魔の叫びが聞こえるといわれています。

切支丹坂については小説家の永井荷風も『日和下駄』の中で語っており、当時からこの地は気味の悪い場所と考えられていたようです。

※最も、その中で荷風は今はその坂の両脇も当世風の石垣となり薄暗い物凄さを失った、と書いていますが……

さて、そんな切支丹坂ですが、所在地には異論があり、切支丹屋敷に通じるいくつかの坂が切支丹坂であるといわれたり、また否定されたりしています。

現在、切支丹坂と呼ばれているのは(こちらもかつて切支丹坂だったといわれている)庚申坂を下り、その先の線路高架のガードを抜けた先の坂ですが、この坂も江戸時代には切り開かれていなかったとのことで、結局どこが本当にかつて切支丹坂と呼ばれていた坂であるかの決定的な証拠は見つかっていません。

とはいえ、それをわからないで済ませても仕方ないので、差し当たり現在切支丹坂と呼ばれている坂を中心に周囲を少し回ってみました。

◆途中の道すがら◆

茗荷谷駅から切支丹坂に向かう途中にある釈迦坂の案内板。

この釈迦坂に限らず、切支丹坂のある茗荷谷周辺は「谷」の字がついていることからも分かるように非常に坂が非常に多い。

途中で見かけたお寺の門前のお地蔵さんと、道すがらにあった尾張屋と台座に彫られている石像(造形的に弁財天かなにかか?)。

どちらも大事にされている様子が見て取れます。

◆庚申坂◆

現在切支丹坂と呼ばれている坂の目印でもある庚申坂。

この坂を降りきり、ガードを抜けた先が切支丹坂になります。

庚申坂の案内板。

庚申坂の一番上から見下ろした様子。

庚申坂の一番下から見上げた様子。

この坂の下に見えるガードの先が切支丹坂。

ガードを通り抜けます。

◆切支丹坂◆

ガードを抜けた先に緩やかに上昇している坂、あれが切支丹坂と呼ばれている坂になります。

かつてこの坂の周囲は鬱蒼とした木々が繁り、怪しげな雰囲気だったといいますが、永井荷風が生きていた頃ですら開発が進み、今ではすっかりただの住宅街です。

坂の上から下を見下ろすと、意外と長くて急に見えます。

なお、ここまで特になにもおかしな事は起きていません。

まあ普通の住宅地なのでそりゃそうか、という感じ(´・ω・`)。

切支丹坂を上り切った先にある切支丹屋敷跡の碑と、八兵衛の夜泣き石と呼ばれるいわれのある石。

「八兵衛の夜泣き石」とは、拷問にあったキリシタンの八兵衛を逆さ向きに生き埋めにしてその上に置いたとされる石で、夜ごと泣き声や恨み言を呟く声が聞こえたり、「八兵衛、苦しいか」と尋ねると揺れるといわれている石です。

切支丹屋敷跡の碑の前を通過して進むと、先に別の坂が見えてきます。

こちらの坂は蛙坂といい、かつての切支丹屋敷の裏口方面に当たる坂です。

この坂の東側はひどい湿地で蛙が多かったとも、復坂とかつては呼ばれていた(が、その理由は不明)ともいわれています。


そんなわけで心霊スポット紀行第29回は、東京は文京区にある心霊スポット、切支丹坂をご紹介しました。

この切支丹坂に限らず、茗荷谷近辺は古くからある町らしくいろいろなものや謎のある場所で、少し調べただけで多くの情報が出てきますので、興味がある方はぜひ切支丹坂、でネット検索してみてください。

他にもこの辺りには縛られ地蔵という興味をそそる名前の地蔵があったり(調べてみたら本当に縛られてました)と、なかなか面白いスポットといえます。

とはいえ、あくまで住宅地なので現地に赴く際には節度をもって訪れるようにしてくださいね。

それではまた次回の更新まで(・ω・)/

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